駒込4丁目の焼け野原の中に、細長い石仏が5~6体あったが、それを動かすと崇ると言われていた。藤堂高虎が朝鮮征伐の帰り、船の安定に積んできたとも言う。(ここは、その後旧第十出張所となった。)駒込は屋敷地が多く、マンションが多くなっている。