終戦から1年たっても、食糧不足は続いた。学校の校庭でさつまいもの苗を植えていた。それを食べようと掘り起こすと、そこから人の骨が。そして被爆した父の後遺症の介護。あらためて原爆投下の悲惨さを感じる思いを、語っていただいた。